中学1年生の頃、私はタイのバンコクに住んでいました。
今から20年以上前、1998年のことです。
当時のバンコクは新しいビルがどんどん建ち、とてもエネルギッシュな一方、蛇口からでる水は汚く、道路からは異臭が漂い、大変衝撃を受けたのを鮮烈に覚えています。
私は小学6年生まで滋賀の田舎で育ち、引っ越した当初はどうしても新しい環境に馴染めずにいました。友達もできず毎日本当に憂うつでした。
しかしバンコクでの生活も3カ月がたったころ、ようやく友達ができ、その友達が塾に誘ってくれたのが私の塾人生のはじまりです。
なので塾に通うようになったきっかけは、【成績を上げたい!】からではなく、【友達がいるから!】
今思えば不純な動機ですが、子供の私には切実でした。
そんな私が塾に入った途端、勉強に励み、着実に順位を上げ、先生からも褒められ、模範的で素晴らしい生徒になった、というのは
もちろん嘘で、授業中に無駄口ラクガキ、どうすればみんなを笑わせられるか、そんなことばかりを考えている本当にロクでもない
生徒でした。
そんな私に転機が訪れます。
中学3年生に進級し、志望校を選択する時期になりました。
今でもそうだと思いますが、日本人学校は帰国子女枠を使って高校受験ができるうえに学力優秀な子が多く、まわりの友達の受験校もすごい高校ばかりでした。
早慶、MARCHの付属校はザラで、本当に賢い子は灘や麻布なんかを受験していました。
一方、当然私には目標もなく成績は中の中。中2の終わりの内申はオール3でした。
ぼんやり母に進路の話をふると、本当に興味がなさそうに、「どこでもいけるところにいったらええやん」と、息子の進路に興味の欠片もありません。
しかし、これに火がつきました。
見返したい。絶対に受からない高校に合格することで周りや家族を認めさせたい。と。中学3年生から本格的に受験勉強を始めます。
決心した後、地獄のような日々を覚悟しましたが、意外にも私にとって受験勉強は楽しいものでした。
大変でした。成績がなかなか伸びず胃が痛い日が続きました。ですが日々一歩一歩前進している充実感や、知識と知識がつながった
ときのスッキリ感。また周りの先生や友達と一緒に難問を解く空間そのものがあったので、楽しくやれたのかなと今は思います。
結果的に第一志望の高校に合格し、中学卒業と同時に日本に帰国します。
代表 田中
思えば私が通っていた塾はローカルで、バンコク在住の日本人学校の生徒しか通っていませんでした。
そんな塾をここ名塚で作ってみたいと思い、エヌズゼミを立ち上げました。
(エヌズは名塚のエヌズです)
中学時代に感じた日々一歩一歩前進している充実感、知識と知識がつながったときのスッキリ感、周りの先生や友達と一緒に様々な問題を解決する、大人になっても記憶に残り続ける空間。
そんな場所を創っていきたいと思う今日この頃です。